ホーム > オーストラリアよもやま話> バックナンバー

大陸縦断鉄道「ザ・ガン」全線開通にまつわるエピソード
【2004年2月22日】

前回のコラムで、大陸縦断鉄道の南半分が完成してから、全線開通するまで75年と書いた。誤解のないようにいっておくと、オーストラリア人がのんびりしているとはいえ、北半分の建設作業がこの間ずっと進められてきたわけではない。

NT(ノーザン・テリトリー=北部準州)では、それこそ選挙のたびに、「ダーウィンまでの路線延長を実現! 今度こそ……」と繰り返し謳われてきたのだが、気がつくと計画はいつも中止。財政事情と採算性の問題から、何度も白紙撤回されたため、すっかり狼少年状態(?)で、誰もホンキで開通を期待しなくなっていたというワケだ。

今回ダーウィンまでの第1号列車に乗車したジョー・ホッキー観光大臣も、ごく最近まで縦断列車開通を信じていなかったらしい。2000年の話、というから今からたった4年前のことだが、「開通するよ」というティム・フィッシャー前副首相に対し、「もし、縦断列車が走ったら国会議事堂の周りを裸で走ってもいい!」という賭けをしていたことを白状したのだ。ちなみに、その前年の99年には、連邦政府とSA州、NTが費用負担に関して合意し、ハワード首相が延伸工事の着工を公式発表していたのだが、「今回もどうせダメになる」とふんでいたのだろう。

公に謝罪することを条件に、その「負債」を帳消しにしてもらって、「国民もみんなほっとしているだろう」とジョークを飛ばす観光大臣に対し、その場に居合わせたSA州知事は、「ザ・ガンの中でやれば?」といい、乗客のおばあちゃんは目を丸くしながらも、「ドアを押さえていてあげるわ」と一言。

ダイニング・カー この話と関係があるのか、ないのかは不明だが、ダーウィン駅到着の約30分前に通過したハンプティー・ドゥーという小さな町の近くでは、線路沿いに並んだ約50人の男たちが一斉にお尻を丸出しにするという変わった方法(!)で歓迎の意を示したりもした。

第1号列車に招かれたVIPの中で、一番ゴキゲンだったのは、鉄道好きで知られるフィッシャー前副首相だったが、一般乗客の中にも首を長〜くして開通を待ちわびていた人がいた。1982年に行われた抽選で、「縦断列車第1号のチケット」を手に入れたという当時20歳(今41歳!)のアリス・スプリングス在住の男性もその1人だ。地元の新聞には、「フツウの人は、電車が来なければ1時間もすればあきらめるものだ。マイケルは、22年も待っていた」なんて書かれていたのが、おかしかった。チケットを提供したNT政府も、まさか実現までにこんなに時間がかかるなんて、思ってもいなかっただろう。抽選が行われた当時は、オーストラリア建国200周年の88年に縦断列車開通を目指したプロジェクトがあり、"Our Train 88"というのがスローガンだったのだ。

初めての縦断列車が到着する1週間前になっても、ダーウィン駅には、公衆電話もなく、電気や水道の工事も終わってはいなかった。担当者は「間に合う自信はある」と胸を張ってはいたけれど……。さもありなん。

そんなこんなで、あまりにもオーストラリアらしいエピソード満載の大陸縦断鉄道「ザ・ガン」。世界の鉄道ファンの間でも、「今度は本当か!?」という情報が飛び交っていたらしいけど、極めて順調に運行しているので、ご安心あれ。
 
(「地球の歩き方」ホームページ・シドニー特派員レポート掲載)

 
ひとつ前の話
●ひとつ後の話